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突然特大号【Dセンパイのジャワ番外編その1、到着まで】ニマリンサーフ・ジャワ珍道中_(4719文字)

こんにちは、

ランボルギーニ三浦です。

改名しましたが、いかがでしょうか?

水温が温かくなりはじめ、

Dセンパイという名からの脱却を図ろうとしている小春日和です。

これからはランボルって呼んでください。

さてさて、

『ナキサーフfacebook3000人そろそろ突破記念』

と勝手に称して、

第1回ニコリンサーフツアーを開催しました。

相当の人数が予想されたので、

ジャワに精通している杉本さんは、

現地の受け入れ態勢を整え、

参加者たちの各レベルに相応したスポット調査もしっかり行い、

万全の態勢で臨みました。

出発日の成田空港は混雑が予想されるので、

提携パーキングには送迎バスを用意するよう指示を出し、

遠方の方にはホテル「ファニーサンタ」を用意しました。

そして当日を迎え、寒い北風の中荷物を降ろし、

ボードケースごとカートに乗せ、

集合場所である空港ロビーに行くと、

「あれ、俺しかいない?」

思惑とは反対に総スカンを喰らい、

「第1回ニマリンサーフ珍道中」

にツアー名を勝手に変更し、

今まだ残るアジアの秘境へと向かうのです。

「今ごろ会社では、夏の海に行くぼくを卑怯者扱いしてますよ」

「杉本さん、違うよ、俺たちは秘境に行くのだから秘境者なんだよ」

「さすがです。でも長期で休むのって気をつかいますね」

「俺はこの旅行のために倍働いてきたから、

遊んでいるからって、人に憎まれたくないね」

「そうなんですけど、どんなことをしても憎む人はいますからね」

「気にしないほうがいいよ」

と言いながらもその台詞は、

自分で自分を慰めているような気がしてくるのでした。

お伝えし忘れましたが、

今回のサーフガイド&サーフバディは、

NAKISURFニコリンファミリーの杉本さんです。

今回は彼が恋い焦がれて通い詰めた場所に

小生を連れていってくれる運びとなった。

さらにはシークレットスポットを見つけたので、

そこに案内もしていただける予定であります。

インドネシアの奥地にありつつも、

カリフォルニア最長波のリンコンそっくりなブレイクは、

初心者から上級者まで最適だということと、

中級から上級者はパーフェクトの高速滑走リーフが用意されていて、

さらには伝説的だというシークレット波があるという。

俺はサーフ歴34年、そしてクヌヤロ道は自称初段です。

どこから初段と言いますと、

ここまで平均で週に5回(日数ではなく、回数)くらいサーフしています。

仕事は夜勤が主なので、

波があれば仕事が終わってから湘南で週に1、2、または3回。

休みには千葉や静岡に行き、2から3ラウンドをこなします。

とすると、月に平均18回、1年に216回。

それが34年ですから、

およそ7344回もサーフしてきた計算となります。

なので、自称初段としています。

これは大山マスタツさんが言っていたと思うのだけど、

「千日を以って初心とし、万日を以って極とす」

という言葉がありますからまだまだ先は長いです。

ただね、

これからやってくるその1万日の中に

このインドネシア秘境波が入るのは、

ワクワクというか、

「沸々としたうれしさを感じた」

とここに書いておこう。

このレポートは記憶のキオクなんです。

そんなことはさておき、

「俺たちはさ、これからジャカルタまで飛ぶんでしょ、

空港からそこまでどのくらいかかるの?」

と杉本さんに聞くと、もじもじしながら

「あれ、遠いかな、空港からはですね…、

あ、さぬきうどんだ、ここうまいですよ。

先輩食べますか?」

と話を逸らそうとする。

「遠くても覚悟はできているから教えてよ」

「えーとですね。あ、トンカツだ。

センパイはロースですかヒレ派ですか?

ヘレカツというところもありますけど、

どうしてでしょうかね」

とまた話が逸らされた。

「杉本さん、それじゃ困るからちゃんと教えてね」

と言うと、

「あのー入国審査を終えてからでもいいですか?」

「あのね、遠いからといって俺がここでずらかると思っているのか?

でもそんなに遠いのか?」

すると、

神妙な顔をした杉本さんが静かにうなずいた瞬間、

俺は二度と日本には戻れないような気がして、

もう一回孫の声が聞きたくなり、

携帯電話をズボンのポッケから取り出したのでありました。

ルバング島の小野田さんのようなスタイルでもいいから、

恥ずかしながらでも再びここに帰って来られるように祈るワタシは、

数えで当年とって54歳の人生短し。

ジャカルタ国際空港に到着しました。

家を出てからすでに14時間経過。

ここから飛行機を乗り換えてジョグジャカルタに向かう。

この空港はいつ来ても不気味な空港ですね。

「今回は安いルートが見つかりました」

なんて言っていたけれど、俺たちゃ荷物扱いかよ?

とふざけながらジョグジャカルタ空港に到着。

まだまだ元気です。

ジョグジャカルタ特別州は、

アジアでも屈指の人口密度と貧困率の高さで有名だから、

インドネシア好きのワタシは一度来たかった場所であります。

初代ジョグジャカルタ国王はハメンク・ブウォノ1世で、

1988年にハメンクブウォノ10世がスルタン位を継承し、

今に続いているんだけど、

サテ屋のオヤジがこの10世じゃないか?

という話はこのあいだ書いたね。

http://blog.nakisurf.com/naki/archives/42818

俺は変な名前が大好きで、

世界中の変な名前を探しているのです。

ハメンクブウォノ、略してハメちゃんは、

スマトラ震災のお礼だと言って、

日本に来たときにその存在を知ったんだけど、

いまこうして彼の地に到着するというのは、

なかなか感慨深いものがあります。

さらには、

こうして伏線がたっぷりあるのも人生のおもしろさだと再確認しました。

空港出口ではにこやかなワヤンが待っていてくれて、

杉本さんは

「お、元気だったかー?」

と日本語で再会を喜んでいました。

予想通りの改造ボロバンが登場し、

俺たちはボードと荷物を載せて、

ジャングルの暗闇へと吸い込まれていったのでありました。

道中は街灯もない、街の光もない真っ暗闇。

そのオフロードを音速並の速度で走るワヤン。

あんなに笑顔なのにハンドルを持つと性格が変わるタイプで、

「もっとゆっくりゆっくり」と騒ぐと、

「ダイジョブ」と言ってアクセルを戻すが、

俺たちが寝てしまうと、

また音速に戻ってしまうので手に負えない。

バンの後部座席ベンチシート2列目、

そして3列目とそれぞれ横になっているのだが、

時折音速のまま車が穴に乗り上げるようで、

その瞬間体が宙に浮き、天井に肩と足が一瞬届き、

それから床に叩きつけられて起こされる。

骨折しちゃうだろ。

「ワヤン!!ユックリだぞ!」

と怒鳴ると、「ゴメンナサイ…」

とまたおとなしくなるのだが、

長旅の疲れで不覚にもまた寝てしまうと、

同じように叩きつけられて起こされる繰り返しの長い夜。

闇の中で走るのはディズニーランドのスペースマウンテン。

ジョグジャカルタのスペースマウンテンは長すぎて、

怖すぎて、

こうして味わってみるともう二度と乗りたくない、

と思いながら杉本さんを見ると、

慣れたもので、レッドゾーンまで達するイビキ全開で、

さらには床に落ちたまま寝ていた。

すげえ。

ヘルメットを持ってくれば良かった、

と後でメモ帳に書いておこう。

それもスネル規格のがあればばっちりだね。

松山千春さんの長い夜は名曲だが、

こちらの長い夜は最悪の曲である。

あまりにも後頭部が振動でこすれるので、

ついにレゲエの人みたいに一部ドレッドになってしまった。

でもね、

ここをラリー車で走ったらパリダカみたいでおもしろそう。

杉本さんにルートマップを渡して、

いつかここをランチア・ストラトスでドリフト、

いや日産バイオレット710型で跳び走りたいね。

へへー。

NAKISURF大西さんが教えてくれたんだけど、

彼の聞いた話はね、ジャワの奥地には、

人食い部族がいて行方不明者続出中で、

マラリア、テング熱などにも注意が必要なんですよ、

脅かされたことを思い出した。

あれは俺たちがジャワに行くことに嫉妬して言ったわけではなく、

本当だったのかも?と感じてきた。

「(ジャワ)虎もいますよ」

とワヤンはうれしそうに言う。

たしかジャワトラは1980年代に絶滅しているので、

「スマトラトラじゃねえのか?」

と正すと、深夜音速急便隊長のワヤンは、

「ジャワトラはまだまだイマス」と言う。

「トラトラトラ」

と九七式艦上攻撃機のように打電を孫に打ちたくなった。

違うか。

トラ話でようやく目が覚めてきた。

車はあいかわらず準音速で闇をひた走る。

うっすらと明るくなってきた。

ジャングルの風景は変わらず続いていく。

つまらないので不意に眠ってしまうと、

音速に達してたたき付けられる。

人間とはすごいもので、

慣れてくるとこれでも熟睡できるように順応してきた。

両足をシートの合間に入れて、

シートベルトを腰に巻き、

左手は運転席のポケットをつかみ、

右手はシートに巻き付けると浮き上がらなくなる。

やがて、ずいぶん経ってから車が止まり、

「ミウラさん、ショージさん、ブレクファス?」

と起こされた。

おお、街だ。

やばこれはもう都会だ!大きな看板があって、

道は整地されていて店がたくさんあって、人もいる。

ここはインドネシアのラスベガスに違いない。

ワヤンと同じ店に入り、

俺は固い目玉焼きと焼飯のナシゴレンスペシャルで攻める。

食欲なんてないが、

食べるときに食べるのは旅の鉄則であります。

攻める旅は食からだね。

サンバルソースがやけになつかしい。

コーヒーがやけに甘いのもインドネシアに来た実感があるな。

それからずっとワヤンといろいろなことを話しながらまた準音速で進攻していく。

旅慣れた杉本さんはイビキ連続記録達成中である。

ワヤンは、ガムラン音楽にのせた影絵芝居のことを教えてくれて、

さらには、

「プランバナン寺院にボロブドゥール寺院遺跡群がすごいデス」

というので行きたくなってきた。

これらは確か世界遺産だったと思う。(船木注:調べたらやはりそうでした)

食べものは、

煮込み料理であるアヤムゴレン・カラサンが有名だとし、

さらにはガドガドのうまい店もあるというからうれしくなる。

俺はサテアヤムにビンタンビール派である。

アヤムは鶏肉です。

宗教上の理由だと思うんだけど、ここには豚肉が一切ない。

ポークジャワカレーなんておいしそうだけどね。

ジャワだからカレーですよね。

それからワヤンは休憩も入れずにひたすら走り、

ついに目的地であるメインブレイクに到着しました。

自宅出発時からじつに30時間は経過しており、

長旅も長旅、しかもこの車中11時間というのが、

拷問を超えて快感となった。

もう二度と乗りたくないが、

帰りにまた乗らなきゃならないかと思うと、

うんざりしちゃうけど、

「明日は明日の風が吹く」だから大丈夫。

「あれがメインブレイクです」

という杉本さんの指さす方向を見ると、

岬の先端から規則正しく波がブレイクしている。

それは、

まるでパダンパダンを逆にしたかのようで、

サイズが落ちずにずっといつまでもブレイクしていた。

「お、これやばいね、桃源郷じゃねぇか?」

と吸われるように近づいていくと、

なんとその波は膝サイズしかなく、

俺はしょぼーん。

杉本さんは知っていたのかニヤリと笑った。

でも前向きに考えると、

このサイズでこの距離はありえないと思う。

ざっと見ても400mは乗れるだろうか。

とすると、1本乗ると、

5分かけて岬の先まで歩き戻るということになる。

ジャワはすげえ。

それにしてもここの波が上がったらどうなるのだろうか?

800mライドか。

(次号へ続く)

http://blog.nakisurf.com/naki/archives/43362

 


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