先日の東京編のブログにも書いたが、
逆真会(ドラグラ)イタリア支部長、
土井さんの計らいでMTこと、
Michael Tomsonと食事をしてきた。
私は、
彼のラグーナ・アトリエでアートを勉強させていただいた。
師匠のひとりでもある。
MTは、
茨城で開催された『JPSAガッチャプロ』のために来日していて、
彼の日本最終日のディナーだという。
この席では、
およそ1ダースほどワイングラスと、
さまざまな啓示がMTによって発令されたのだが、
印象に残っているのは、
「大津波のタイフーン・ラグーン」だろうか。
この話は広大で、
ここで書いても冗談だとして誰も理解しようとしないだろう。
取材メモ用にキーワードだけ書き出しておく。
フロリダ・ディズニーワールド1997
貸し切り
MT独り
22pm-midnight
閉園後に集まった100人程度技術者
スタッフ&クルーたち
拡声器&スピーカー
ミーティング
頭サイズ
ショアブレイクまで4セクション
オーバーヘッド
ビール&ワイン
ダブルサイズ
ショアブレイク前でキックアウト
6フィート
クローズアウト
bigger, bigger
さらに大きく
レストラン&バー
5年後には、
同じスタッフで盛り上がったと記しておく。
□
【50才までのビジネス講座】
モザイクのようにいくつも自分で可能なことを散りばめる
できるからと言って器用貧乏にはならず、
ひとつひとつのことを真摯に正確に
□
【50才からの人生】
散りばめたものを拾って組み合わせる
大事なのは、
「何が好きなのか」
「何が得意(効果的)なのか」ということのふたつ
そのふたつを鍵としてパズルを完成させろ
ジミ・ヘンドリックスから学べ
速度ではなく、
精度でプランを組み立てろ!
□
【メキシコ本土南、ガテマラ国境付近にある800m乗れる岬波】
8ft.
2-3ft.
6ft.
2ft.
5ft,
3ftとサイズを上げ下げしながら乗り継ぐシークレット波
1本乗っては休み、
2本乗ったら終了。
6フィート日は、
6’8″ではまるっきり短く、
ダックダイブの際にあまりのパワーに両手の指がボードにめり込み、
ボードのノーズを顔に当て、
2本の波が過ぎるまで上がってこられなかったほどのパワフルさ。
もし7’6″のボードがあったのなら、
それは一生もののすばらしい波だったのだろうな、
というスーパーブレイクがこの世にあるという。
□
【MTについて】
今は昔、
それは1970年代から80年代の話。
斬新でクール&セクシー、
独創的で鋭く、
狂気的でもあり、
そして最高の人間がMTだ。
彼は南アフリカ出身で、
プロサーファーとして活躍後『Gotcha』を設立。
『サーフ・ラプソディー(Surf Rhapsody)夜会』の焦点、
中心者でもあった。
ロブ・マチャド
ブラッド・ガーラック
マーチン・ポッター
ディノ・アンディーノ
ブロック・リトル
トッド・チェイサー
シェーン・ホラン
マイケル&デレック・ホー
ジェリー・ロペス
サニー・ガルシア
ネイザン・フレッチャー
ボビー・マルチネス
というメジャーというか、
バックドア・シュートアウト並のチームを作った。
さらには、
ハードコアブランド『MCD』をスタートさせて、
こちらはアンディ・アイアンズ
マット・アーチボルド
というダークサイドの2強を抱えるコアで進化的なブランドを設計、
経営を進行させた。
MTは、
当時のサーフィン業界では珍しく、
ロック・ミュージシャンを広告で使用するほど、
ビートあふれるブランド・ビジュアルを叩きだし、
「サーファーがサーファーのために作った」
というオリジナルな商品構成を魅力とし、
当時の鮮やかで芸術的な提案を視点に、
世界のファッションインダストリーまでも巻き込んで発展を遂げる。
上記した奇跡的、
歴史的なサーファーたち、
芸術家、
およびフリーマインダーたちを模様のようにまといながら、
紋様を変えるように拡大していったふたつのブランドの大立者、
このカルチャーの指揮者がこのMTだ。
世界チャンピオンのショーン・トムソンは彼の従兄弟でもある。
.
Some Things Never Change
Things Will Change
という相反する変化が絡まりだした。
□
MT、
ラグーナのマックス・レストランの二階でお会いしましょう!
またはそのメキシコのシークレット行きの空港で再会の約束もあります。
私がノースハワイ行きを決めたとき、
ラグナ・ビーチのスタジオで、
彼が言いました。
「一緒にニューヨークに行って、
まるっきり新しいファッション・ブランドを成功させよう!」
そんなうれしいことがあったが、
結果ノースハワイを選んでしまったけど、
こうしてまた呼んでくださるのがうれしい。
自分の表現を支えてくれる人が、
MTだという大きな自信となったんですよ。
再会の機会を作ってくれた土井さん、
ありがとうございました!
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